参加した皆さんが、目を輝かせて「やっぱり十勝カボチャならではの味、香り、色彩...」うれしそうに今焼きあがったばかりのカボチャのパンを口にしている。講師をしている私もこんなにおいしいカボチャは初めて...と心の中でつぶやいた。
いつもの私なら「腕が良いのでよくできたのよ」とか「配合が良いのですよ」と自慢するのに、今日だけはこの十勝の土地と環境がくれたカボチャ君に助けられた気がした。「十勝の皆さん、とてもよい所に住んでいてカボチャにも恵まれてよかったわね。いつもカボチャ君にありがとうと声を掛けてくださいね。」一人ひとりの目を見ながらできるだけ大きな声を出して叫びながら、ふとオーブンを見ると最後の香りの良いカボチャのパンが焼きあがっていた。
私やほかの受講生にカボチャが、「今日はお疲れ様、パンを通してカボチャも、ジャガイモも、小豆も幸せに皆の前にいろいろな思いを話ながら登場したよ。大きくなってみんなと会話ができるまで雪の日も、凍りつくような寒い日も、僕たちを作ってくれた農家の人たちは、十勝の土を愛し、十勝地方の環境の良いところを熟知して、おいしく喜ばれるように、そして食べるロマンを育ててくれるように手を掛けてくれて、そして僕たちは今喜ばれている...うれしいことだ」と目をくりくりと輝かせながら言っていた。
私たち都会育ちのものにとっては、夢の中にいるような十勝平野。壮大な畑の中に、都会の工事中の石のように積まれているジャガイモ、ピラミッドのような形をした小豆の山々、土の中に埋められてしまうできすぎたタマネギ、放牧されておいしそうに草を食べている牛や馬、訪れるときに東京の人々から聞いた、十勝地方は北海道のおへその部分で、何も観光がないところで退屈するわよといわれて出て来た私ですが、その想像をはるかに絶するほどの野菜の宝庫、乳牛の宝庫であることを知り、もっともっと私たちがこの農産物を上手に、大切に食べることを伝えなくてはいけない。
この大地を踏んだ者の役割であるということを痛感しながら、フリーになった時間を来るまでドライブし、隅から隅までを回ってこの足で歩けたことを明日からの仕事に生かし、役に立てたらいいなと強く感じて、十勝カボチャと出会った旅が夕日に送られて終わりました。(つづく)