とよこさんのポケット

パンなことこんなこと
過去のエッセイたち
'02年12月21日十勝毎日新聞掲載「帯広の屋台村」
'02年12月14日十勝毎日新聞掲載「十勝のカボチャ」
'02年5月「ベルギー・パリ ぐるりパンの旅」
'02年1月「祝・15周年記念!!」
'01年8月「忙しかった夏」
'01年3月「イタリア&パリ訪問」
'01年2月「シリア訪問記」
'00年12月「ドイツ・ベルギー、パンの旅」
'00年8月「今年の夏」
'00年6月「ベトナムのお店」
'00年3月「インドのおもいで」
'00年2月「フランスのパン」
'99年12月「1999年を振り返って」
'99年11月「香港でパンさがし」
'99年10月「ベトナム滞在記」
'99年9月「トルコで収穫」
'99年8月「ホノルル出張の事」
'99年7月「パンをたくさん作ること」
'99年6月「青磁器とパン」
'99年5月「講演で話したこと」
'99年4月「パン集中講座」
'99年2月「新しい教室」
'99年1月「ポカラの山」
'98年12月「10周年と引越し」
'98年11月「取材と見学」
'98年10月「ハワイの虹」
'98年9月「秋のパン」
'98年8月「タリンのパン食べ放題」
'98年7月「ちょっとパンなこと」
'98年6月「イギリスのパンあれこれ」
'98年5月「池袋の街角で」
'98年4月「友人のマッガニガルさんと、日本の街をパン紀行」  
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 とよこさんの道具箱
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10月「ハワイの虹」
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今月はハワイに10日間ほど行きました。
ハワイの最大ストアに配送している工場からの 「サンドイッチ用食パンをサンドイッチ工場で焼いてみたい。」 「日本風焼き込み調理パンを作りたい」 という依頼があったのです。
仲間の一人と一緒にハワイに飛び立ち、あのサラッとした空、紺碧の海、高台からの眺めを心に描き、再々度訪れることへの歓びと、どんな工場で何を作っているのだろう、ということへの期待とで、あっと言う間に時間が過ぎ、ホノルルに着いてしまいました。
迎えに来てくれた人は、先に「お寿司」を指導に行っているKさん。
一カ月ぶりの再会でしたが、丸々と太っていて「こんな短期間でずいぶん変わったわ!!」と内心思い、車に乗り目的地に着きました。

いらすと10 朝10時くらいなのに、雨上がりの太陽の下にはキレイに虹が私たちを迎えてくれたのです。
工場の入り口で迎えてくれた人が「大きな虹を見ると、またハワイに来ることができる」と現地で言っているのだと教えてくれました。
今日からしっかり指導して、その通りになるよう頑張ろう!!と良い気分になって旅の疲れも忘れ工場の中に入ってみた。

社長は38歳の香港人。その一族が3年半前からはじめたとのこと。アメリカ認定の工場で、衛生、施設規定など、全部クリアしているという。
毎日見学者が多いとのことで、その日も他の島からお客さんが来ていて
「日本のパン博士に今日からおいしい、ハワイNo.1のパンを習うのです。」などと、私たちを誇らしげに見学者に紹介していた。

作っているものは、ミートローフをのせた寿司、照り焼きビーフ、サンドイッチ、のり巻き、マナプァ(肉饅頭)弁当などなど。
興味深いものばかりを工場中でつくっている。
ソーセージを焼く時の天板は大きくて、その上にびっしりと太くて大きいソーセージを並べ、こしょうもダイナミックに振って作っていて私に良くあっているなあ、なんて感じてしまいました。

工場の中を一通り見た後「今日はホノルルを一回りして、パンの工場を見てください。」ということで、なんと全店10店舗以上、ファストフードやデパートのテイクアウトできる店、レストランを車で走り回り、あらゆるところを見て歩き、最後に中国人街の一番よく売れている焼きマナプァを買い工場に戻ると、夜の8時半を回っていました。初日から、なかなか強行スケジュール。
夜は日本にいるときからどうしても行きたいと思っていたバーガーハウスで1/2ポンドのバーガーと、ベーコンとアボガドのバーガーをコーラで夕食。
急に若返ったようですごく幸せな気分。

翌日は午前中、材料や不足している型、器具などの問屋に出かけました。
体育館を三棟もつなげたような大きな問屋には、缶詰めをはじめ、イーストやナッツなど世界中のものが大量に積まれていて、目が回りそうでした。
一つ一つコンピュータで管理されていて、注文するとフォークリフトとロボットですぐ取り分けてくれる。
すごい!これなら私たちの作りパンの助っ人になって応援してくれるわ、なんて勇気がわいてきました。
これで、数々の道具が揃いました。コンロやグリル、ミキサーなどの安いこと。
日本へかついで帰りたいくらい。

午後からスケジュールを組んで、指導を受ける人達を集めて
「さあ、私とこれから9日間、友人とは19日間のあいだで、人に買ってもらうことのできるパンが上手にでき、毎日安定したサンドイッチを作るのに使えるようなパンができるよう、みなさん頑張ってください。」
と、目をしっかり見て挨拶した。
工場の人々は広東語の人が多く、日本語は理解できないようだけれど、じっと目を見てお返しをしてくれている。
この時から、工場中あげてのパン作りがはじまりました。

日を増すに連れて作品が良くなり、調理パンも味のおいしいものができるようになってきました。
グラムをポンドとオンスに直して計り、計量していくのが心配だったのですけれど、帰る日の朝、友人に後を任せる打合せをしながら、みんなの様子を見ていると、積極的に仕事をはこび、レシピ通りに事を進めていて感心すると同時に安心しました。
「私は午後にここを離れることになる。ああ、良かった。これで後10日友人が指導すると、ここのパン君たちはすっかりでき上がり、あのストアでお客さんの手に渡っているだろうな…。」と想像できるようになっていました。
いらすと10

ホテルに戻り、空港に行く用意をしているとKさんの車の他に5台もの車が並び、ロビーでは社長が私を抱きよせ、別れを惜しんで涙ぐんでいた。お土産もいっぱい持ってきてくれてました。
私も思わず、仕事をしたという達成感と、喜ばれて良かったという思いと、別れのつらさが一度に襲い涙となってしまった。
「またぜひ来てください。どんなことがあっても再会したい」といつまでも社長は手を握っていてくれた。

飛行機の中でひとりになり、おもわず「パン君ありがとう。私にこんなにも充実した人生を与えてくれて感謝しています。これからもいっそうパンを見つめ、パンと共に生きていくという気が強くなってしまったわ」なんて、独り言を言ってしまいました。

みなさん、本当にパンって幸せを与えてくれるものですね。
珍しいパン、おいしいパンに出会えたら、ぜひ私に知らせてくださいね。

 
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竹野豊子のパン工房